コメント

 

見田宗介(社会学者、東京大学名誉教授)
現代の日本社会はさまざまな困難な問題に直面している。
安定した生活の基盤を得ることができない若い人たち。生活の基盤をおびやかされている中年や、高年の人たち。老後の保証と希望をもつことのできない人たち。過酷なあるいは長時間の労働に苦しむ人たち。生きがいのある仕事を見出すことのできない人たち。生きることの意味とリアリティを見出すことのできない人たち。子どもを育てることが困難な若い人たち。健康な自然な食品を手に入れることのできない人たち。過疎に足元をすくわれてゆく地域の人たち。さまざまの災害から立ち直ることの困難な地域の人たち。さまざまな差別や偏見に苦しむ人たち。
これらの問題はたがいにからまり合っていて、一つの問題の解決が、他の問題を一層深刻とすることもあるし、反対に、一つの問題の解決が他の問題の解決にも道を開くということも多い。
だからこれまでの社会運動のように、労働者の生活の向上だけ、消費者の安全だけ、地域の活性化だけという運動の形だけでなく、これらさまざまの問題の相互の連関の全体をとらえた上で、複雑な連立方程式を解くように、連関して解決してゆくことを目指す運動の形が求められている。
ワーカーズコープは、このような現代社会の新しい社会運動として注目されると思う。

またわたしの考えでは新しい社会運動は、
第一に、批判し、否定し、破壊するだけでなく、どのような社会をめざすのかという、肯定的、創造的なものでなければならない。
第二に抽象的な机上の議論でなく、具体的な活動の形をもつものでなければない。
第三に、実際に実現することのできないユートピアではなく、現実に実現の可能なものでなければならない。

このような、肯定性、具体性、現実性という3つの公準から見ても、ワーカーズコープはこれからの社会運動の、大きい範例ということができると思う。

 

■加藤彰彦(沖縄大学名誉教授)

映画が終わって目を閉じると「自分もそうだったので一人にしない、させたくない」という思いで「お茶っこ」を担当し「それで自分も助けられている」という、やわらかな青山さんの表情が浮かんできた。

「自分みたいに、まわりに助けを求められない人に少しでも手助けができたらと思ったんです」と話す渡部さんの声も心の中からよみがえってくる。そして源さんの「原畑君も、竹森さんもここに住んだらもう鱒淵の人さ」と話す、力強い言葉と太い腕が体の奥に残っている。

ここには開かれた出会いがあり、出会った人がまるで自分自身の様なあたたかなつながりがあった。
私たちが失ってきた人と人、いのちといのちの交流が映像のあちこちから泉のように溢れてきて、私もこんな暮らしが出来るかなと思えてきました、本当にありがとうございました。

 

■島袋隆志(沖縄大学准教授)

あなたは、あの日どこで何をしていましたか?
私は、あの日以来、何かをなしえただろうか?
誰しも自分と他者との関係を見つめ直させられた日。

在京だったあの日の後、コンビニのレジ前に並んでいた4,5歳の子が「やっぱ、これはいいや」と小さく呟き、持っていた菓子を棚に置き、戻ると握っていた小銭をレジ前に置かれた募金箱に入れ走り出ていった。きっとあの子も、できることで皆との関係性を感じていた。

映画の中のみんなは静かに、でもキラキラして。子どもも大人も、男女も、障がいの有無も飛び越えて、皆で仕事を、皆で暮らしを、皆で生きるために知恵を出し、そして実践し。
きっと私も何かできるはず!

 

■高畑明尚(琉球大学経済学部教授)
【沖縄と被災地そして世界をつなぐ】
震災後、何度か被災地を訪れましたが、そのつど耳にしたのは「なぜ自分だけが生き残ったのか」という言葉でした。沖縄でも多くの人が、被災地に思いを馳せ、また支援の手を差し伸べてきましたが、その沖縄でも「なぜ自分だけが生き残ったのか」という思いから、戦争体験者の多くが戦後長らく、新基地建設反対や日本政府へのあからさまな批判を避け、基地が増え続けることに耐え忍んできたと思います。
そうした中で沖縄でも過疎や開発、基地建設などで生物や人間にとって持続困難な状態を産み出してきており、自分が生きて活動している地域や自分が生まれ育った地域が持続可能で生き残れるのかどうかということに関心を持っている人も多くいます。

この映画は、そうした沖縄の人々と舞台となった被災地・東北の人々とを繋ぐものであり、さらには地域社会の持続・存続を願う多くの人々とを繋ぐものでもあります。さらには、非人間的で経済成長優先の現代社会の犠牲とされてきたことに対する連帯意識と、その中で生まれてきた新しい共生社会のあり方への共感を産むものでもあります。

だからこそ、この映画を観ることが被災者へのエールになるとともに映画を観る人自身へのエールとなり、それがやがて自分の生きる地域や生まれた地域の再生を願う人びとの大きな輪となり、さらにはそれぞれの地域の再生へと繋がることでしょう。

この映画が、地域を舞台とした新しい共生社会への様々な試みや努力をつなぎ、それらをもっともっと大きな輪にしていくきっかけともなることを願っています。

 

■内田樹(思想家 凱風館 館長)
「弱者を支援するのは弱者である」というのは、僕の友人の平川克美君の言葉です。
「公共的なものを創り出すのは私人である」というのは、僕の経験的な確信です。
どちらもひとつの事態を違うことばづかいで表したものだと思います。

僕たちの時代はいろいろなものが壊れてしまいましたが、いちばん激しく壊れたのは「公共」です。

多くの人は「公共」というのは自然物のように昔からそこにあるものであって、オーダーしたり、クレームをつけたりすれば、そこから「公共財」の分配があるというふうに考えています。
だから、目の前に支援を求める弱者がいても、手をつかねて見ている。
「彼らを支援するのは公共の仕事で、オレの仕事じゃないよ」と思っているからです。
別に不人情であるわけではないと思います。
「公共」というものは私人が身銭を切って手作りするところからしか始まらないという近代市民社会の起源を人々は忘れてしまったのです。

この映画は「公共が機能不全に陥った」時代状況の中で、「公共的なものは手作りするものだ」という近代市民社会の基本原則をあらためて覚知した人たちの活動を淡々と映し出しています。

僕はこの映画を観て、なんだかほっとしました。

この映画に出て来る人たちは「自分にできること」しか自分にはできない、「自分にできること」なら自分にできるという当たり前のことがわかっています。
当たり前のことを「当たり前だよ」と言うことがむずかしい時代にここちよい「常識の衝撃」を与えてくれた作品でした。

 

■太田政男(教育学者・前大東文化大学学長)

東日本大震災は、いのちの極みで人間の何たるかを考えさせた。
現代の日本社会では、市場原理が生活の隅々にまで浸みとおろうとしている。お金は、世界の人々を結びつけるが、顔の見える生身の人間の関係を断つ。「生きづらさ」はすべての人の抱える課題である。
他方、市場原理はもうけのあがらない仕事には手を出さない。森林などの自然は放置され、人間と自然との関係は断たれる。
人間と人間の関係、人間と自然の関係をもういちどつくりかえることはできないか、そこに挑戦することで、関係を断つのではなく、関係を復活させるようなお金の流れをつくりだせないか、そんなことを考えさせられた。

 

■田中夏子(農園風と土園主・日本協同組合学会 前会長)

この映画を通じて、「協同労働」というのは、より条件の厳しい場でこそ、より多様な可能性が引き出される、そうした存在であることを感じました。被災という圧倒的な困難の中で、「協同労働」が、働く人のものに留まらず、それを支える市民、それを取り巻く地域のものへと大きく膨らんでいくプロセス、作製に二年近くかけたからこそ、観る側も、そのじんわりとした変化を追体験できます。

関わる人たちが、右往左往したり、衝突したり、ときには距離をおいたりしながら、当初描いていた活動から、どんどんはみ出して、新しい関係性や活動がたくさん生まれていく…
そのダイナミズムが協同労働の本質なのかもしれません。

この被災地での展開を自分が立っている場に置き換えると、いまや、「いのち」や社会の共有財が様々な角度から脅かされつつあることに思いあたります。「いのち」を蔑ろにするこの流れにどう抗するのか、これからの「協同労働」が担う課題も映画によって明確となりました。

 

■天童荒太(作家)

静かで、ゆるやかで、地に足の着いた、正直で、豊かな映画だナ
威勢のいい空虚な約束には、うんざりしていたから、
競争と恐怖をあおる言葉には、いい加減疲れていたから。
映画の中の、謙虚で、不器用で、口下手で、
でも、一生懸命に人や地域とつながろうとしている人たちの笑顔に
見終わって、とってもほっとした。
なんだか勇気をもらえた。
いるんだよ、こういう人たちが、まだいっぱいいるんだよ。
だから、あきらめなくていい。
笑い合い、涙を分かち合える世界を信じていい。
ずっとずっと願っていた、夢のかけらが、この映画の底には輝いている。

 

西谷修(立教大学大学院文学研究科特任教授)

大変啓発的な作品だと思います。
ワーカーズコープが、たんに社会的弱者の小さな自立の物語でも、繰り返された理想の共同体の焼き直しでもなく、現代社会の様々な綻びや廃墟に身を置いてそのなかから小さな工夫の積み重ね、「働く」ということを産業システムに組み込まれた「労働」から解放して、まったく別の原理によって社会のうちに、あるいは人々の生きる地域社会を土台に、「協働」を組立て、人びとの生きる社会を蘇生して行く歴史的試みだということが、その具体的な活動を通して示されています。多くの人に観られることを願っています。

 

■平川克美(文筆家・隣町珈琲店主)

ふるさとをつくれ
かつて、ひとりの詩人はこう書いた。「東京へ行くな、ふるさとをつくれ」。
わたしたちは、文明史的な転換点を生きている。人口増大から人口減少へ、経済成長から経済均衡へ。成長がなくなったら、お金がない、雇用がない、帰るべき場所がなくなると考えるひとがいる。
この映画の中に、お金がなければ分け合えば良い、雇用はなくても仕事はある、帰るべき場所がなければふるさとを自分たちで作れば良いと考えるひとたちがいる。
かれらが起っている現在の場所こそが、希望なのだ。

 

■山内明美(宮城教育大学准教授)
かつての世界には、私たちが今考えているような意味での「労働」はなかった。近代資本制は、労働力を市場に売るシステムをつくりだし、世界は「賃金労働者(サラリーマン)」で溢れている。しかし、この労働システムは、人間を、根源的な働く喜びから引き裂いていった。まるで、「生きる時間は金なり」だ。

東日本大震災後、大槌町で「ねまれや」を運営する東梅さんは「震災前までは、お金をもらうための労働でいっぱいいっぱいだった」という。ひとりの女性が、なぜ生き残ってしまったのかを問いはじめた時、自分にとってかけがえのない人々と楽しく生きる仕事や地域について真剣に考えはじめた。

これまでの労働のあり方の限界を見すえた時、「生の労働」がどんなかたちをしているのかを発見したひとびとがここにいる。

丸い地球の水平線に 何かがきっと待っている 進め!

 

■山根基世 (元NHKアナウンサー、本作品ナレーター)

子育て支援、障がい者サポート、高齢者の居場所づくり・介護、若者の就労支援…等々、人が生きていく上に是非必要な事業を創り、そこに関わる人が互いに助け・助けられる関係を築いて行くこと。
それがそのまま「仕事」として成立するワーカーズの仕組みは、これからの社会の在り方のひとつの理想だと思う。だが、その道はそう容易くはない。
ひとり一人が出資者として経営者として自立すること、経営者マインドを持つことが前提になる。つまり、私たち自身の意識改革が求められているのだ…

被災地の厳しさの中だからこそ、ワーカーズの働き方の「人間的温もり」がひときわ身にしみる。

 

湯浅誠(社会活動家・法政大学教授)
東日本大震災は、たくさんの尊い命と引き換えに、日本に「自助から共助へ」という地滑り的な地殻変動をもたらした。
「ふつう」がふつうでないこと、ふつうのありがたさ、支え合うことで暮らしが支えられていることの尊さを、私たちはじわりと、しかし着実に、感じ取るようになってきている。
日々の暮らしは、派手さの欠けた「物足りなさ」ではなく、それ自体を「満ち足りたもの」として形容されるべきだ、と。
地殻変動は、日々実感できるものではないかもしれないが、7年をまとめて遡れば、その変化は明らかだ。
それをもっとも端的に見て取れるのが「被災地」である。

被災地が、復興の遅れを嘆き、風化をおそれる段階は過ぎた。

被災地は、その地殻変動の象徴として、未来を示す先駆けとして、日本社会に広く問いかけるべきだ。
「それで、本当に、大丈夫ですか」と。

ここにはその問いかけが詰まっている。

私たちがその問いかけを受け止めることが、死者を弔うということだと思う。

 

■渡辺一枝(作家)
新聞を見れば気が滅入ることばかりのようなこの頃だけれど、
この映画を見て久しぶりに胸に光が灯りました。 

共に在ることを互いの喜びにする…、
震災の辛い体験を経て起ち上がった人たちの姿に、
今の私たちが目指したい社会の在り方を見たからです。

2019年9月19日更新